電子書籍『映画 × 写真 2』の刊行のお知らせ

2023年 新年おめでとうございます!

  本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

電子書籍『映画 × 写真』by Voyager Press / ShINC. BOOKSの第二弾として

『映画 × 写真 2』が2022年末に刊行されました。

 以下、書籍のご案内となります。

 

本書は、『映画 × 写真』の第2弾です。今回は、ヒッチコックの名作「裏窓」からクリストファー・ノーラン監督の「メメント」、韓国映画の「J S A」、日本映画の「砂の女」など世界各地の名作12作品を選定。なぜこれらの映画が深く記憶に残るのか。スリリングでミステリアスな映画に仕組まれていたのはまたも<写真>だった。監督たちの見事な映像センス。今回も「映画」の中に登場する「写真」が引き起こす謎と魅力に迫ります!

【目次】
はじめに 
『裏窓』― 主人公を職業カメラマンに仕立てたヒッチコック流映像術
メメント』 ― 記憶にシンクロさせたポラロイド写真の仕掛け
『去年マリエンバードで』― 「起源としての現実が存在しない」驚くべき映画
砂の女』― 砂丘で無限地獄にはまったカメラを持った男の絶望と希望
8月のクリスマス』― 微笑みの「遺影」と奇蹟の瞬間
たまゆらの女』―高速鉄道と写真が揺さぶった中国詩人の伝統的世界
ソラリス』 ― 「複製」を巡る宇宙的で秘儀的な映像作品
『クラッシュ』 ― 〈愛に満ちた精神病理学〉と写真コレクション
シティ・オブ・ゴッド』― 少年ギャング団の公式カメラマンが撮ったスクープ写真
『キリング・フィールド』― クメール・ルージュ幹部が隠し持っていた「家族写真」
『JSA』― エンディングに埋め込まれた一枚の写真の衝撃波
地雷を踏んだらサヨウナラ』― 一ノ瀬泰造がアンコー ルワットに向かった真の理由

こちらからアクセス、ご確認できます。

https://store.voyager.co.jp/publication/5960000000254

 

幾らか立ち読みもできます。よろしくお願い申し上げます!

加藤正樹

Film 8:キアロスタミ映画『トラベラー』                               

Film 8 : Photography

The Traveller  映画『トラベラー』

 


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 イラン・イスラム革命前にあった小さな写真の時 

 

 

        監督・脚本   アッバス・キアロスタミ 

            公開 1974年

 

2022年イランの地で、頭髪をおおうスカーフ(ヒジャーブ)を適切に被らずに道徳警察に拘束され亡くなったり、先日にはスポーツクライミングでスカーフを被らずに出場した女性が問題視されるなどイランで、特に女性の自由や人権が大きな社会的問題になっていることは報道等でご存知のことと思います。

現在イランはイスラム教の教えの支配下にありますが、半世紀前や30年程前にはとても自由な空気の中で暮らしていた時期がありました。イランでは映画もかなり盛んに制作され、1990年代アッバス・キアロスタミ監督も世界的な評価をえる映画を何本も制作されていました。本作はそのうちの1作です。

 

 

 

  キアロスタミ監督の最初の長篇映画

    

 『トラベラー』はイランの映画監督アッバス・キアロスタミの最初の長篇映画である。一九九○年代には『友達のうちはどこ』(1992)、『そして人生はつづく』(1992)、そして『オリーブの林をぬけて』(1994)のジグザグ道三部作が世界の映画人と映画ファンを虜にした。多くは素人を起用した演出でこれほどの映画がつくれるとはまったく驚きであるが、それにはしっかりした裏付けがある。

 

 イランの首都テヘランにある小さなペンキ屋に生まれたキアロスタミは、テヘラン大学の美術学部現代アートを学び、その後コマーシャルやポスターのデザイナーとなる。一九六八年、二八歳の時、児童青少年知育協会という国営組織に入り映画制作を担当する。

 最初にメガホンをとった映画『パンと裏通り』(買い物帰りの少年が犬に行く手を遮られ四苦八苦するという短編)は、児童映画際の金賞に輝いた。それを観た黒澤明が「うまい人は最初からうまい」と舌を巻かせたことはよく知られた話しだ。

 

 つまり児童向けの教育映画がキアロスタミ監督の出発点なのだ。よって主人公も少年が多く、生き生きした姿や表情を捉えるのはお手のものなのだ。しかし単に情操教育用の教材映画の延長であったらこれほど世界を熱狂させはしなかった。

 

 キアロスタミ映画には何があるのか。じつはキアロスタミの映画にはテレビや電話、映画カメラなど現代文明の利器がたびたび登場する。本作でも「」が思わぬかたちで登場し物語に現代的な意味と複雑な余韻を残すのだ。

 

 まず監督キアロスタミのカメラがどんな映像をどう捉えたかみてみよう。映画は路地裏のサッカーゲームのシーンからはじまる。砂埃が舞う路地裏の空き地はいつも子供たちの領分であり王国だ。その王国はホメイニ師であれ米国大統領であれ倒すことはできない。そしてどこの国にもどこの街にも大人には知られることもない子供たちだけのチームがある。学校や家とは異なる小さな社会がそこにはある。

 

 

 キアロスタミはそうした子供たちだけの世界をよく知っている。それはキアロスタミ・カメラの動きにもあらわれている。カメラが子供たちの目線の高さなのだ。透明な魔法のカメラが空中に浮かんでいるかのようで子供たちの表情や行動が決しておしつけられることがない。フィクションであってもドキュメンタリーのごとくに仕立ててしまう撮影術と映画術がそこにみてとれる。

 

                         

 

  雑誌に載ったサッカー選手の 「写真」 

 

  本作でキアロスタミ監督のカメラが追うのはガッセムマスード・ザンベグレー)というい少年だ。カメラはガッセムが登校中、路上の雑誌売り場で道草を食いサッカー雑誌を買って授業に遅れる姿を映し出す。キアロスタミ監督はこの時、まるでガッセムを代弁しているかのようだ。ガッセムが教室に入った時、別の生徒が次のように教科書を読んでいる。 

 

 「何も分からず。どこにいるのかも分からずに、自然の正真正銘の暗闇に囲まれていた。感じていたのは恐怖だけでなく、恐怖を超えたものだった」と。キアロスタミ監督は大人の論理でガッセムを制止させようとはしない。授業中ガッセムは我慢できず買ったばかりのサッカー雑誌をこっそりと開き、隣の席のアクバルにそっと見せる。雑誌には彼の好きなサッカープレイヤー、ゲーリッチの写真が載っている。「ちゃんと見なきゃだめだ」とガッセムはアクバルを叱る。

 

 ガッセムは好きなサッカー選手の「写真」を見るのが大好きなのだ。彼にとって文字を読むことは面白くもなく、〝見る〟ことが好きで好きでたまらないのだ。先生に見つかるが、その時もガッセムは雑誌を読んでいたのではなく、雑誌の中の「写真」を見ていたのだ。

 

 

これからすごく興味深いシーンが続きますが、続きはすべて載せることができないので、以下の電子書籍『映画×写真』(by Voyager Press・理想書店/ ShINC.BOOKS 2021)にアクセスお願い致します。もう少し立ち読み可能です。また電子書籍としてご購入もできます。

 

 

 

Film 7 : アヴェドンと映画『ファニーフェイス』

Film 7 × Photography

FUNNY FACE 『パリの恋人』

   


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         モード写真とカラー写真の〝大恋愛〟 

         

                             

           監督  スタンリー・ドーネン    

           出演  オードリー・ヘップバーンフレッド・アステア  

                  スージー・パーカー、ケイ・トムソン

          公開 1957年

                                             アカデミー賞脚本賞ノミネート

              アカデミー賞衣裳デザイン賞ノミネート 他

 

   大衆と夢見るようなファッション写真

 

 この作品で、映画とファッションは〈婚約〉した。映画における両者の〝恋愛関係〟はそれまでもしばしばみられたが、その多くは舞踏会や宮殿の間でのお披露目といった趣きか、歴史の中の絢爛な「衣裳」の再現だった。〈婚約〉の立ち会い人は、観客である〈大衆〉である。大戦で唯一本土に爆撃を受けていないアメリカで〈大衆〉が爆発していたのだ。

 

 アメリカの〈ゴールデン・エイジ〉と言われる一九五○年代、ファッションでも新しい無数の〝キャットウォーク〟が整いつつあった。新しいキャットウォークは、「ストリート」である。「ストリート」が、新しいカルチャーを放ちはじめていた。『ティファニーで朝食を』でも映し出された五番街は、大戦で疲弊したパリ、ロンドン、ベルリンに代わって、なんと魅力的でとした空気を醸し出していたことだろう。

 

 華やかなカラーファッション写真を大量に掲載しはじめた『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』に代表されるモード誌は家庭内を超えて、ストリートを刺激し初めていた。〈大衆〉はすでにアイドリング状態で待機していた。あとは〈大衆〉の好みをキャッチし、誘導し、何色に染めるかが問題だった。本映画では、その答えは「ピンク」だった。が、従来の上流階級然としたモデルでは「ピンク」は似合わない。

 

   そこからこの映画は動き出す。そう、問題はファッション・デザインではなく、〈大衆〉をその気にさせるピンク色にぴったりのモデルと、夢見るような〈ファッション写真〉が緊急に必要とされたのだ。

   


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    本作の監督スタンリー・ドーネン(代表作『踊る大紐育』『雨に歌えば』他)は、オードリー・ヘップバーン主役の映画では第三の監督と言われる。オードリーのセックスアピールではないピュアで妖精のような姿は、『ローマの休日』のウィリアム・ワイラーと『麗しのサブリナ』のビリー・ワイルダーの二人の巨匠が競い合いながら誕生させたものだった。

 

  その両作品で、オードリー自らの提案からすでにジバンシー・ファッションは導入されていたが、それはあくまでもスーパーヒロイン、オードリーのための特別なものであった。が、本作はそのストーリーからも伺えるように、〈大衆〉を取り込むことができるファッションこそが問題だった。

 

 

  そのための舞台が〈大衆〉と接点のなかったモード雑誌のエディティングルームであり、予想外のロケ現場であり、新たなファッションショーだった。そのことが監督スタンリー・ドーネンをして鮮やかな〈オールカラー・ファッション〉を全面に打ち出させることとなったのだ。

 

 

 色彩顧問はリチャード・アヴェドン

 

 当時、高級モード誌『ハーパース・バザー』のカリスマ・アート・ディレクター、アレクセイ・ブロドヴィッチのもとで革新的なファッション写真を打ち出していたリチャード・アヴェドンが色彩顧問(Technicolor Color Consultant)としてフィーチャーされることになる。色彩顧問といえどリチャード・アヴェドンならではのセンスがあらゆる面に発揮されているのは映画を見ればたちどころにわかる。


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   まずオープニングのタイトルバックのイメージには思わず膝を打つ。映画の内容をしっかりと受け止めた上でのあのスタイリッシュなつくり。4×5のカラーポジフィルムとなったオードリーの顔写真がライトボックスに映しだされると、そこにメイクアップされた〈ファニー・フェイス〉が鮮やかに浮かびあがる。

 

 

これからすごく興味深いシーンが続きますが、続きはすべて載せることができないので、以下の電子書籍『映画×写真』(by Voyager Press・理想書店/ ShINC.BOOKS 2021)にアクセスお願い致します。もう少し立ち読み可能です。また電子書籍としてご購入もできます。

Film 6 『スモーク』 by ウェイン・ワン

Film 6 × Photography
SMOKE

ブルックリンの小さな片隅を毎日撮り続け出した契機

 


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映画『スモーク』

 

           監督 ウェイン・ワン(王穎) 脚本 ポール・オースター

           主演 ハーヴェイ・カイテルウィリアム・ハート  公開 1995年

           インディペンデント・スピリット賞新人脚本賞受賞

           ベルリン国際映画祭特別銀熊賞

           ベルリン国際映画祭国際評論家連盟賞 ほか

 

煙草の煙があっという間に消えてしまうように、目の前の出来事もまたあっという間に消えてしまう。本当は消えてはいないけれども、別の出来事へと続いていったり重なっていく。消えてしまうように見える目の前の出来事や光景には、煙草の煙のようにほんの僅かであっても重みがあるんではないだろうか。そんなことをこの映画は問いかけます。

 

 

 

Film  Smoke 

 

 ブルックリンの街角のシガーショップが舞台

 

 この映画は脚本を手掛けたポール・オースターの小説のように、奇妙な偶然が重なるシンクロニシティーから誕生した。一九九○年のクリスマスの日、香港生まれの監督ウェイ・ワンが偶然手にした「ニューヨーク・タイムズ」紙。そこでたまたま読んだのが、ポール・オースターの短編『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』だった。  

 ウェイ・ワンは単なる読者ではなかった。映画化の話しをポール・オースターに持ちかけた。それがこの映画の発端となる。ポール・オースターは映画化を快諾。ウェイ・ワンは短編『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を基に、映画『スモーク』の脚本を生み出すのだ。そしてこの映画を小津安二郎に捧げた。

 

 ポール・オースター小津安二郎の映画『東京物語』が特に好きだという。そういえば『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』に出てくる太った黒人のお婆さんは、どこか『東京物語』に登場する年老いた母(東山千栄子)を彷佛とさせる。東京から広島に戻った老母が急死するが、あの太った黒人のお婆さんもどうやら亡くなってしまったようなのだ。

 

映画の舞台となるシガーショップ(葉巻店)があるブルックリンの下町感覚は、『東京物語』の息子の家がある風景とどこか通底していよう。今はなきニューヨークのツインタワーとスカイスクレイパーを背景にブルックリン方面に走り来る電車も、『東京物語』の冒頭の列車が走行するシーンと響き合う。

 

 

 ブルックリンのとある街角にあるシガーショップがこの映画の舞台だ。そこはこの界隈の煙草好きにとって陽溜まりのような場所になっている。ベースボールと煙草談義に花を咲かせる淡々とした日々。陽が落ちれば人々は家路に向かい、雇われ店主のオーギー(ハーヴェイ・カイテル)は決まった時刻になれば店を閉める。かな哀愁漂う店だ。

 

 作家ポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)が店を出た後に路上で車に轢かれそうになったところから物語りは動きだす。シガーショップ前の交差点のように登場人物が交差しはじめ、妻を亡くし自失していた作家ポールの心も何かに向かって動きはじめていく。

 一つの偶然がもう一つの奇妙な偶然に向け、見えないシンクロニシティーの〈列車〉が走りはじめるのだ。

 

 朝8時きっかり、十年以上、毎日街角で撮影する       

 


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 ある日店じまい直前のシガーショップにポールが立ち寄った時のこと、レジ脇に使い古されたカメラが置いてあるのに気づく。

 長年通いつめていたポールがカメラに気づいたのはその時がはじめてだった。オーギーはそのカメラを使って毎日同じ時刻にまるで郵便配達夫のようにあらわれ、店の前のブルックリンの街角の写真を撮っていることをポールに告げる。

 オーギーは分厚い写真帖を取り出し机の上に置く。

 写真帖には片ページに必ず四枚づつ、日付けが記された同じような風景のモノクロームの「写真」が嵌め込んである。

 ポールは物珍しげに「写真」に視線を滑らせていく。

 


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 すべての写真はオーギーが店の目の前、ブルックリン7番街と3丁目の角に三脚を立て、四千日以上一日も欠かさず、朝8時きっかりに毎日撮ったものだった。

 ということは四千余枚もの街角の記録が同じように十二冊の写真帖に貼られていることになる。一冊がちょうど一年分にあてられているようだ。

 

 ポールはページを捲っていくが、ポールには「写真」がまったくぴんとこない。なぜこんなことを始めたのか、動機やきっかけを聞きたがる。このあたりは小説家と写真に関心を持ったものの違いがでていて面白い。ポールは次々にページを捲っていく。

 オーギーは言う。「もっとゆっくり見なくちゃだめだ。ちゃんと写真を見てないだろう。同じようでいて一枚一枚全部ちがうんだ」。

 

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Film 5. ジョン・ウォーターズの『アイ・ラブ・ペッカー』

Film 5 × Photography

I Love Pecker(1998)


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      映画『アイ・ラブ・ペッカー』

       監督 脚本 ジョン・ウォーターズ

   出演 エドワード・ファーロング クリスティーナ・リッチ、 リリ・ティラー

 

 

この映画は『モンド・トラッシュ』(1969)や『ピンク・フラミンゴ』(1972)といった伝説的映画でカルト的人気を誇ってきたジョン・ウォーターズの作品である。

ジョン・ウォーターズは別名〈悪趣味映画の巨匠〉とも言われている。一九八○年代に入っても、女装の怪優、ディヴァインを主人公にして『ポリエステル』(1981)や『ヘアスプレー』(1987)などを発表し注目を浴びていた。

 

本作品はジョン・ウォーターズの個人史を映し出している。米国東海岸メリーランド州にあるブルーカラーの地方都市ボルチモアが舞台だ。

そこは彼自身が生まれ育った街で、一七歳の時に祖母からもらった8ミリカメラで映画作りを始めている。本作品の主人公ペッカー(エドワード・ファーロング)とほぼ同じ年だ。

 

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その後、ジョン・ウォーターズニューヨーク大学フィルム・スクールに進学する。が、マリファナ所持で放校処分。ボルチモアに帰郷し映画を作り再スタート。その時の映画がその後に彼を押しも押されぬカルト作家とならしめた『ピンク・フラミンゴ』だった。

 

物語はボルチモア市にある小さなファーストフード店で働く一八歳の写真小僧ペッカーの写真が(その店内で即席展覧会を催していた)、ボルチモアに来ていたニューヨークのアートディーラー(リリ・テイラー)の目を魅き、ニューヨークで大ブレイクするところからはじまる。

彼のシロウトっぽく、露出不足で、お粗末な構図で、手ぶれてアウト・オブ・フォーカスの写真がニューヨークのアートコレクターたちのお眼鏡に叶ったというわけだ。

 


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 1972年、ボルチモア市でのDivineの撮影から始まる、ジョン・ウォーターズのドキュメンタリー

 

ニューヨークの一流メディアやギャラリストたちが集い盛大なパーティーが催され、アメリカン・コンテンポラリーアートの殿堂ホイットニー美術館からは大々的な個展のオファーだ。

ニューヨークのやり手アートディーラーは瞬く間にプリントが売れていくペッカーを手放そうとしない。新鋭写真家となったペッカーが地元に戻るとペッカーの被写体となった家族や恋人、友人、街のひとたちが有名人となっている。逆に平凡な日常がかき乱され思わぬ災難が巻き起こまれる人もでる始末だ。

予期しない事態に恋人のプア・シェリー(クリスティーナ・リッチ  ヴィンセント・ギャロ監督『バッファロー66』に出演)との仲は不和となりペッカーは元の日常に戻ろうとする。が、いったんはじまった浮かれ騒ぎは膨れあがるばかり、といったまったくどうにもならない”アホでマヌケ”なコミカルな映画だ。

 

と、ストーリーだけ追えば身も蓋もない映画のようにみえるが、そこは毒杯を盛らせたら天下逸品のジョン・ウォーターズ、ただではすませない。映画の冒頭からペッカーは息をつかせぬ早さで写真を撮りまくっていく。

矢鱈滅多にシャッターを切っているようだが、その実よく見ればアメリカが生んだ偉大な写真家たちのセンスやスタイルをしっかりと盗み、引用し撮りまくっているようにもみえる。例えば、冒頭の最初のショットは、ボルチモア市の中心にある開拓史の像を撮っているが(像を巨大なペニスにその下の茂みは陰毛にみたてている)。

 

これなどはコンテンポラリー・フォトグラファー(一九七○年代日本ではコンポラと呼称され一大ブームとなった)の巨匠リー・フリードランダーの有名な写真集『アメリカン・モニュメント』(1976年)の引用だし、バスの中での黒人女性のスナップは、ブルース・デビッドソン風(彼のは実際には地下鉄内だが。写真集『サブウェイ』1986年)だし、バスの窓から道路に沿った家を流れるように撮っていくのは、エドワード・ルシェを彷佛とさせる(写真集『Every Building on The Sunset Strip』1966年 私家版)。

 

 

姉や妹の一風変わった写真は、いっけんダイアン・アーバス風(写真集『ダイアン・アーバス』1972年 MoMA)だ。ペッカーのバイト先のピザ屋での鉄板上で焼ける卵やウィンナーのアップ写真も、日常のモノをクローズアップで撮る当時のコンセプチュアル・フォト的である。

ニューヨークでの写真展覧会では、引き伸ばされ額装されるとアートディーラーの思惑通り運んでいく。ペッカー本人の落ち着きがなく薄っぺらそうなキャラクターとはうって変わって見事な写真なのだ。ホイットニー美術館のキュレーターが「まるで九○年代のダイアン・アーバスだ」と言い放つほどに、被写体となったペッカーの家族や(とくに姉や妹、そしてお婆さんのミーママ)、そしてボルチモアの市民たちは、九○年代の〈フリークス〉と化している。

監督ジョン・ウォーターズはさらに意地悪く、鼠が生殖行為をしている写真を彼等の写真のなかに紛れこませる。

 

それほどに写真は力強く皮肉に満ちている。写真に興味がない者ならば、バカチョンカメラでちょっと撮った写真が時流にのってたまたまうけ、なんともラッキーな写真小僧の物語とおもうかもしれないが、どうしてじつにペッカーの写真はうまいのである。

 

 

絵的にアーバスの焼き直しに過ぎないのではという声もあろうが、ペッカーはアーバスのようにニューヨークのフリークたちをフェイス・トゥー・フェイスで撮ったのではなく、ボルチモアの市井のひとたちを軽快なスナップで撮ったもので根本的に異なる。

 

九○年代のニューヨークには、アーバスが六○年代から七○年代初頭にかけニューヨークで出会った異様なオーラを放つ〟聖なる存在者たち〟はすでにいない。否、現実には彼等は依然存在するのだろうが、写真のスキャンダラスな被写体としてもはや存在しなくなったのだ。ペッカーのパーティーに現われたホームレスが「ギャラリーがこの街をダメにした」と呪う。

 

 

ハイブロウでハイセンスなニューヨーカーと比べると地方都市ボルチモアの人たちはなんて素朴で良いひとたちなんだろう、という二極構図はここには微塵にない。毒々しい〈グロテスク〉さに大都市も地方都市ももはやイーブン。ボルチモアボルチモアは全域が底が抜けたような住人の〈グロテスク〉さも痛快だ。

「写真」の良し悪しなど何もわからないので、有名となったことだけが唯一の基準となる浅ましさ。ついにニューヨークのアート界は、ペッカーの写真を通して自分たちとは別種の胸騒ぎするほどの〈グロテスク〉さを地方都市ボルチモアのひとびとに発見したのだ。

 


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さて、ニューヨークで新鋭写真家となって帰郷したペッカーと故郷のボルチモア市民がどうなったか。ペッカーをまず驚かせたのはあのボルチモア市民が「ニューヨーク・タイムズ」のハイブロウなアート覧を熱心に読んでいる光景だった。それに倣ってペッカーファミリーもこぞって慣れないアート覧をみる様子は、皮肉とコミカルさが入り交じった痛快なシーンだ。

 

たった一人の写真家のせいでボルチモアはてんやわんやなのだ。ペッカー家に押し入った泥棒は、「勝手に撮るのも立派なドロボウだ。おあいこだ」とつっぱねる。別の中年親爺からは、「ゴミ箱、勝手に撮るな。わたしのゴミだ。真面目に働け!」と怒鳴られ、中年女からは、写真を撮って勝手に売ったギャラはどうなってるんだ、とツッこまれる。〈写真=盗み〉がメタファーとしてでなくリアルに成立しているのがボルチモアなのだ。

その一方で今や有名写真家ペッカーの被写体=有名人という等式も成立している。ペッカーの家族ともなるともうジャクソン・ファミリー並で、姉はケイト・モスなど目じゃないといって気取りまくる始末だ。

 

ペッカー自身も隣人や恋人プア・シェリーとの関係もギクシャクしはじめる。友人たちを被写体にしていた写真家が有名になった途端、友人たちとの関係が不安定になることはよくある話しだ。当時は気楽に撮られても平気だった者が突然に自身のプライバシーや肖像権を主張しはじめる。

写真はひとをイメージとして盗みはするが、それが新聞や雑誌、写真集に複製され多くのひとが見ると、その写真はイメージだけに留まらなくなる。それもアートの衣をまとって多額のお金がからむ時、ひとは様々な反応する。

 

ペッカーが盗み撮りした「裸の館」でもひと騒動起こる。盗み撮り写真がメディアで公になったお陰でヌードダンサーたちは逮捕される。警官に連行中、ボルチモアの人々は「We want Bush(マン毛を見せろ!)」と応酬する。


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当時の大統領候補ブッシュへの揶揄にも、皮肉を効かした応援シュプレヒコールにも聞こえる。ゲイクラブも騒動に巻き込まれ、ポリスマンが「ニューヨークではアートでも、ここでは災難だ」と吐き捨てる。

 

ちなみにボルチモアアメリカ合衆国建国の地であり国歌や星条旗の誕生の地でもある。一六三二年、カトリック教徒のボルチモア卿の領地を植民地としたことから命名された。ベースボールも有名でベーブルースの誕生の地であり、ニューヨーク・ヤンキースの前身のチームは当時この地にあった。


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その由緒あるボルチモアの地が一九九○年代に全米最悪の犯罪都市とまでいわれるようになり、市民も企業もこぞって郊外に脱出し都市は空洞化する始末。

学校の荒廃、地場産業地盤沈下、麻薬と負の連鎖がたえなかった。後に全米最年少の市長がニューヨーク市警察の対犯罪システムを応用し、全米も目を見張るほど犯罪を激減させる。

ボルチモアと聞けば誰もが耳を塞ぐような東部の都市だったのだ。ペッカーの叔母さんにあたるミーママが自分のマリア様に—慈悲であふれるマリア様—と口を酸っぱく言わせていたのも理由あってなのだ。

 

そんな負の都市の残滓がこの映画の住人のいらついた態度やコインランドリーでの出来事に残っている。たとえばプア・シェリーはコインランドリーの来客の何がどう汚れているのかさえ知っているし、それをペッカーにいちいち説明する。はたまた乾燥機の回る振動を利用してアソコをマッサージして喜んでいる男もいる。

 

 

男はペッカーに写真を撮るよう要求する。彼女は感覚的に分かっていた。「ヘタな芸術よりもまし…ペッカーはなんでもアートにしてしまう」と。コインランドリーで起こる〈グロテスク〉さを唯一覚めた眼で把握しているのがプア・シェリーで、彼女こそペッカー写真の産みの親といっていい。その彼女の感性を育んだのが一九九○年代のボルチモアだ。

 

さて、映画には実際に写真家シンディー・シャーマンが登場する。写真集『Untitled Films Stills』(1990)で、映画のシーン(実際には彼女の記憶の中の映画のシーン)を引用した彼女が、ここでは映画に引用されている。それだけでなく彼女は、〈グロテスク〉さともつながっている。

シンディー・シャーマンは、一九八○年代後半から一九九○年代にかけ、奇怪な人形を使った極めてグロテスクな作品をつくり続けてきた。シンディーが制作したそのシリーズは、まるでボルチモアの人々の〈グロテスク〉さにも通じるものがある。

 

Cindy Sherman

Cindy Sherman

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彼女自身、地方都市デトロイトからアーティストをめざし若い頃ニューヨークに出て来ており、ジョン・ウォーターズやペッカーの気持ちや思考をよく理解できるのだろう。そういえば股をおっぴろげて汚水にずぶ塗れになって転がっているまったく〈グロテスク〉そのものの奇怪な人形を撮った作品があった。

この映画にはもう一人の有名写真家が登場する。ファッション・フォトグラファーのグレグ・ゴーマンである。彼の二冊目の写真集『Greg Gorman 2』(1992)は日本の出版社トレヴィルから刊行されている。シンディーと同様、映画の中でも実際の写真家で、ファッション誌『ヴォーグ』の取材でペッカー家を訪れる役割だ。

『ヴォーグ』はペッカーファミリーの一人ひとりをファッションモデルに仕立てあげている。ペッカーの伯母さんは無理やり着せられたコム・デ・ギャルソン上着をズダ袋だといって着るのを嫌がるが、姉や母たちは大はしゃぎ。似合う似合はないは問題ではない。有名になったファミリーに有名な衣裳を着せ有名写真家が撮影するのだ。

 

 

その〈グロテスク〉さをグレッグ・ゴーマンが引き受ける。仕事はプロフェッショナルにスマートに運ぶのでそこに〈グロテスク〉があるようには思えないが、妹の咽につまった薬が撮影中のカメラレンズに命中したところで、その場で進行している〈グロテスク〉さに突然気づかされるのだ。

映画は〈ペッカーの館〉での浮かれ騒ぎのシーンで終わる。〈ペッカーの館〉の壁一面に掛けられているのはニューヨークのアート界の面々の写真だ。

 

バカ騒ぎの中にもおやっと思わせるものもある。一つ目は、ニューヨークではボルチモアの人々の写真が逆にボルチモアではニューヨークの人たちの写真が飾られていることで、お互いが相手に対して〈グロテスク〉だと感じているものを自分たちの場所で見ていることだ。そしてその写真を見るためにわざわざ出向く。

そのこと自体のまたグロテスクさ。〈ペッカーの館〉にはホイットニー美術館の一団が貸し切りバスに乗ってやって来て入場料すら払わされるのは痛快だ。

 

 

  二つ目は彼等が壁に掛けられた自分たちの写真を見てその〈グロテスク〉さに、やにわに驚くことだ。〈ペッカーの館〉でボルチモアとニューヨークの〈グロテスク〉さが渾然一体となる。それを記録し明解にしたのがペッカーであり「写真」である。

三つ目は、ミーママの大切にしているマリア様が本当に喋ったことだ。それまではミーママがマリア様の口をパクパクさせマリア様がさも喋っているようにふるまっていたが、奇蹟が起こったのだ。

  マリア様は語る。

「慈悲あふれる聖マリア、神の母」と。

マリア様は〈ペッカーの館〉の〈グロテスク〉さにこれ以上ない慈悲をと、願った。

「アイ・ラブ・ペッカー」という日本語タイトルを聞いたらマリア様は、顔を赫(あか)らめ、また奇蹟を起すにちがいない。

「ペッカー」とはオチンチンのことだから。

 

John Waters Reform School

 

Film 4 : ヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』

Film 4 × Photography

Alice in the City

     都会のアリス


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      「イメージの国・アメリカ」で出会った少女との旅

 

            出演  リュディガー・フォーグラー、イェラ・ロットレンダー

         公開  1974年

 

 

 

 

                                                 

開発直後のポラロイドカメラ「SX - 70」を導入

 

 

 映画『都会のアリス』は、『さすらい』『事の次第』と共に、ヴィム・ヴェンダース初期〈On the Road〉三部作とされる。ヴェンダース二八歳の時の作品だ。このロード・ムーヴィーが制作されたのは一九七四年。同じ年、この映画に登場するあるモノが世界のマーケットに向けて発表された。「SX - 70」、ポラロイドカメラである。

 

「SX - 70」は現在に至るもカメラ史上、極めてエポックメイキングな存在で、また名品とされる。それは折り畳み機構を備えネガ・ポジ一体式、写したその場で現像され、まさに写したばかりの像が浮かびあがる、という革命的なカメラであった。

考案者はエドウィン・H・ランド博士。デザインは、ヘンリー・ドレフェス。レイモンド・ローウィティーグとともにアメリカのマシンエイジを代表するデザイナーのひとりだ。 PRムーヴィーは、革新的な家具デザインでもあまりにも有名なチャールズ・イームズによるディレクションである。

 

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 「SX - 70」の開発は二年前の一九七ニ年なので、ヴェンダースはどこかの段階でいち早くその情報をキャッチしていたとおもわれる。事実、『都会のアリス』の脚本を書いていた七三年当時、彼はそうした情報がいち早く入ってくるニューヨークにいた。

ヴェンダースは産まれたてのポラロイドカメラを早々試し、この新しい小さな映像メディアが映画に特別なものをもたらせてくれると予感した。

 

 ポラロイドカメラアメリカの現代文明のスピードと快楽を蝶番で束ねるような欲望の中から産まれてきたものだ。例えて言えばジュークボックスやピンボールのガジェットさに、インディレースのスピードを加えたような何ともアメリカらしいメディアである。

 

 

例えばヨーロッパの町並みにとって「SX - 70」のあまりに効率的で合理的なメカニズムは、元々写真が発明された地であるにもかかわらず、何かしっくりとこない。

七○年代後半から八○年代に、アンドレ・ケルテスやヘルムート・ニュートンらがポラロイド写真に熱心になったが、彼等の写真集ケルテスの『from my Window』やニュートンの『Pola Woman』を見ても、被写体は路上や戸外のものではなく薄暗い窓辺のオブジェであったり室内でのヌードだったりする。

 

 

 ポラロイド写真を映画に持ち込んだことで、映画は一気にヴェンダース的空気を漂わせることになった。ヴェンダース映画は、記憶していたもの、夢に見ていたもの、思い描いていたものと現実が奇妙なまでにかけ離れたりすれ違っていた時、作品が動き出すのだ。

都会のアリス』の場合でも、ドイツでの少年・青年時代にヴェンダースの心の中で神話的次元にまで高まっていたアメリカへの憧憬と、実際に訪れた時の落ち着きのない感や、すでに奪い去られていた神話、それらから来るイメージのギャップが動機の一つになっている。

 

主人公フィリップ・ウィンター(リュディガー・フォーグラー)はヴェンダース自身でもある。ヴェンダース映画とは、現実世界のヴェンダース的なあらわし方である。ヴェンダースなりの「現実」の作品化といってもいいだろう。

 

 

  アメリカの旅は、言葉でなくイメージなのだ

 

 

 映画は冒頭から「SX - 70」が登場する。主人公ウィンターが海辺でシャッターを押す。印画紙がマシンの口から無機的な音をともなって飛び出してくる。「視たものが写ってない…」とウィンターが呟く。

 

映画は冒頭1分で早くもヴェンダース調となる。ウィンターの表情は冴えない。気分は分裂している。「写真を撮る…耐えられないものを吹き飛ばす!」と車を運転しながらシャッターを押せば、「アメリカの旅は、イメージから起こる何かが大事だ…」と冷静に分析もする。

 

これからすごく興味深いシーンが続きますが、続きはすべて載せることができないので、以下の電子書籍『映画×写真』(by Voyager Press・理想書店/ ShINC.BOOKS 2021)にアクセスお願い致します。もう少し立ち読み可能です。また電子書籍としてご購入もできます。

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Film 3 『小さな兵隊』by ゴダール

  Film 3 × Photographs  

        Le Petit Soldat

       『小さな兵隊』

 

 「写真が真実なら、映画は毎秒二十四倍、真実だ」 

                                                      by ゴダール

 


www.youtube.com

       

出演 ミシェル・シュボール、アンナ・カリーナ

         ポール・ボーベ

公開 1960年

 

 

 「写真の相続人は映画である」ゴダール

 

 

 本作品は、の初期代表作の一つにして長篇処女作『勝手にしやがれ』(1959)に続く長篇第二作目である。制作は一九六○年だが、当時フランス政府の大きな政治課題となっていたアルジェリア問題への批判が問題視され、三年後の六三年まで公開が禁じられたいわくつきの映画である。

 

ゴダール映画の本質にある政治色はすでにこの作品に噴出しているといっていい。同時に「写真の相続人は映画である」と言うゴダールの考えが、あくまでゴダール流に、この映画にあらわれている。

 

 最初に魅入られるのは、撮影カメラマンのラウル・クタールによる硬質で透明感あふれる映像である。この時期、モノクロームで撮った夜の都市でこれほど艶やかな映像はそれほどないのではないか。暮れゆくジュネーブの空は、モノクロームなのにパウル・クレーの絵のような鮮やかさを感じさせる。

 

その前年(一九五九年)に刊行されたウィリアム・クラインの写真集『ローマ』の粒子が浮き立つようなざらついた空気感とは異なるもう一つのピクチャー美学。一秒間に含まれる二十四枚の「写真」(ピクチャー)一枚一枚がルミナスな色を放っているようだ。

    

 

 映画『勝手にしやがれ』では、二十四分の一の「写真」イメージを感じさせることは決してなかった。映画は滝壷に流れ落ちる水のように決して留まることなく流れ去っていた。

唯一映像が氷結したのは(実際には同じ写真の連続性から成立するわけだが)、エンディングで主人公のミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)が路上で撃たれ息を引き取る「死」の時であった。

 

 

対し、『小さな兵隊』は冒頭から時がいつなんどき止まってしまうかのような死の匂いが漂う。主人公ブリュノ・フォレスチエ(ミシェル・シュボール)に「女性の目的は生で、男性の目的は死だという。大切なのは死だ」と言わしめたゴダールの真意は何処にあるのだろう。

 

 

 自由と権力とカメラ

       

   主人公ブリュノはフランス情報社の通信員である。裏の顔はOAS(アルジェリアの独立を阻止するテロ組織)のだ。もっとも当時は情報関係の通信員であれば大なり小なりスパイ的な活動が要求される。

 

東西冷戦の中、ブリュノは中立国スイスのジュネーブに派遣されている。当時ジュネーブでは、各国のが公然と活動し情報収拾をしており、テロによる暗殺が繰り返されていた。脱走兵だったブリュノがそんな場所に送り込まれたらどうなるか。権力を持つ国や組織はそういう自由人をどう扱おうとするのか。

 

 

ゴダールはすでにこの第二作目で自身の映画のトレードマークとなっていく〈自由と権力〉について(一般的には政治的映画と言われる)、映像的に思考しはじめていた。

 

 この〈自由と権力〉を標榜したゴダール映画が、主人公に「カメラ」を持たせたことは、これまで特段指摘されたことはない。国家に直結する情報社の通信員、そしてスパイにとって「カメラ」は極めて有効な装置であるが、「カメラ」を自由のシンボルのように扱ったのが本作である。

 

つまり「カメラ」は「権力」に取り込まれることもあれば、「自由」を取り戻すためのともなるのだ(ゴダールにとってそれは政治や社会からだけでなく伝統的映画文化からも。そしてこの現実からも)。

 

 

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